メンバーのブログ

スプロケメンバーのブログRSSを表示しています。ブログのタイトルをクリックすると、ブログ本体にジャンプします。


Ho_ly の日々是音楽

第12回 あまばんグランプリに出場しました〜 (日, 18 3月 2018)
いやー楽しかったですね〜。 詳しくはスプロケ公式サイトに書きましたが、 なかなかホールでたくさんの人の前で演奏するのは 機会が少ないですからね。楽しみました。   その様子はYouTubeでどうぞ。 機材的に言うと、   LINE6 James Tyler Variax JTV59-p(マグネティックピックアップを使用) ↓ Xvive XV-U2(ワイヤレス・システム) ↓ Donner Boost Killer(コンパクトエフェクター/ブースター) ↓ BOSS GT-1(マルチエフェクター) ↓ Blackstar ID:Core Stereo 100(コンボアンプ/RETURNにステレオ接続)   という布陣で挑みました。 いつもギターアンプに近い位置でギターを弾いているので、 こういう広めのステージだとアンプが遠くて 音量がもうちょいほしいなと思うんですよね。   でも「基本モニターに返してもらってアンプはあまり音量を出さない」 というのが現場では常識となっている感じですね。   そういう状況に慣れることも必要かなと思いました。   でもマーシャル何台も置いてやってるギタリストとかって どれくらいの音量でやってるんでしょうね?   ギターの音的には、ステージ上は正直よくわかりませんでしたが、 録画したものを聴いてみると、けっこういい感じなのではと思いました。   GT-1 のアンプモデリングは MS1959 1+2です。 ほぼこれとリバーブだけ。 サビでフランジャーとディレイが、 ソロでファズとディレイが ON になるようにセッティングしています。   Donner のブースターがいい仕事をしていますね〜。 これが無いとハリがなくなるんですよね。 ピッキングのニュアンスが出せるのですごくいいです。 ノイズも全然感じないし、とても安い!   とにかく楽しくて、いい経験になりました。 また出たいなー。  
>> 続きを読む

【作曲方法について #02】曲を作るときに楽器を持つ?持たない?→持たない! (日, 28 1月 2018)
  ※作曲方法について書きますが、思い出話を多分に含んでおります。ご了承ください。 ☆高校〜大学 高校時代はコピーが主でして、そんなに曲を作りませんでした。   というのも、当時ハマっているのはメタルですから、自分でそんな曲を作ってもなかなか再現でいきないというか、要するに自分の資質に合ってなかったんですよね。   ちなみに当時コピーしていたのは IRON MAIDEN、DEEP PURPLE、Mr. BIG、Skid Rowなどでした。いずれも僕の趣味ではなくメタル好きのバンドメンバーからの圧によるものでしたが、やはり聴いていくうちに好きになりました。Mr.BIG は名盤の2枚目が出たときにちょうど買ったので、ドハマリしてかなり聴きました。その名残は今でもありますね。ちなみに高校時代はボーカルギターをやっていました。今考えると IRON MAIDEN をボーカルギターでやるというのは無謀ですね(笑)   そして大学に入るわけですが、もう最初から軽音楽部に入ろうと決めていたんですよね。なので、入学してすぐに軽音楽部の部室に向かいました。そこでたまたま同じタイミングでドアを開けようとしていたのが、20年以上経った今でも親友の音楽仲間でした。   彼とはすぐ意気投合して同じバンドを組み、地元でライブをしたり、バンドコンテストに出場したりしました。一応このバンドでは中国大会くらいまでは進出しました。   そのバンドでは実は最初ユニコーンのコピーをしていて、最初私はドラム担当でした。   実は最初軽音楽部に入った時に、「ドラムとか自由に叩いていいよ」と言われて、ちょっと叩いたんですね。それで「お前うまいじゃん!」となって、私はドラム志願で入部したと勘違いされてしまったんです。   なので、入部して数ヶ月は、私はドラマーとして活動していました。ドラマーが当時不足していて、私は何個もバンドを掛け持ちしていたんですが、やはりなんか違うなと。自分がやりたいのはギターなんだということで、すべてのバンドに「ギターをやりたいので辞めます」という話をしたんですが、そこで「あ、俺ドラムやりたいんだよね」と言ってきたのが、そのユニコーンバンドでギターをやっていたギタリストでした。   そしてなにを隠そうそのギタリストこそ、現スプロケの HARA氏だったのです。   それで私とHARA氏はパートを入れ替わって、活動を再開しました。最初はユニコーンをやっていたのですが、だんだんコピーする曲も少なくなり、停滞した雰囲気が漂ってきたので、オリジナルをやる提案をしました。   僕としてもバンドできちんとオリジナルを作るのはほぼ初めてだったので、いろいろと苦労もしたり、勉強になったりという感じでした。   ☆当時の作曲方法 私は曲を作り始めてからずっと、ギターを持って曲を作っていました。まずギターのリフを作って、それから展開を考えていき、最後にメロディを考えるというやり方ですね。このスタイルの方は多いのではないでしょうか。   なので、大学で作ったオリジナルは、ほぼ全曲がリフから始まります。大学の前半でかなり多くの単位を取ってしまって後半かなり時間があったので、相当な量の曲を作ったのですが、ほとんどそういう感じでした。まずギターがありきの曲作りだったんですね。   ☆ドラムの経験 最初はドラムだったと書きましたが、この経験がけっこう良かったなと思っていて、ドラムをやるのは曲を作るのにあたってけっこう重要なんですよね。   ドラムを知らない人が作ると、とんちんかんな感じの曲ができるんです。そういう曲を聴いたことはけっこうあります。もちろんそれが表現なんだということならオッケーなのですが、そうでない場合がほとんどかなと思っています。   今でも本当は家にドラムセットが欲しいんですけどね。まーそれは確実に無理な話です。エレドラならなんとかなりそうですが。   ☆掛け持ち〜他のバンドへ 3回生くらいだったと思いますが、軽音楽部内でひとつ気になるバンドがあって、おもしろい曲をやってるなと思ったんですね(実はその曲は Red Hot Chili Peppers の曲だったんですが)。で、ちょうどそんな時に「ギタリストが辞めるので加入しないか」と、そのバンドから誘われたんです。   で、変なタイミングなんですが、ユニコーン→オリジナルでやってたバンドのボーカリストが軽音楽部の部長になって、なんだか僕との関係がギクシャクしてた時期がありまして、しばらくは2つのバンドを掛け持ちでやっていたんですが、「ちょっと彼とは距離を置いた方がいいな」と思って、そのことを告げて、その新しいバンド一本でいくことにしたんです。(先程も書いたように、今となってはそのわだかまりもすっかりなくなって、今でも親友として親交が続いています。)   新しいバンドではボーカリストが非常に熱いものを持っていまして、前回の記事でも書いたのですが、主にイギリスの音楽をこれでもかと聴かされました。曲を作るということはこういうことだとか、音楽に向かう姿勢、アートを作る感覚というようなことを詰め込まれました。   今となってはその経験がかなり今の自分の肥やしになっているなと思いますが、当時はかなりイヤでしたね。自分がやっていること、やってきたことを全否定されているような気分でした。   そんな中でも、なんとかアレンジで自分の個性を発揮しようと思って、色々試行錯誤しました。それもいい経験だったかなと。結局、そのバンドでは島村楽器主催のバンドコンテストで中国大会を勝ち抜いて全国大会(ラフォーレ原宿)に出場したりして、まぁまぁやるだけやったかなと思います。   当時はボーカリストが作詞作曲を主にやっていたので、私は曲を作る必要はなかったのですが、そのバンドに曲を持っていったり、どこに発表するでもない自分だけのデモを作ったりしていました。よく芸術家が「作品は排泄物だ」といいますが、そんな感じですかね。何かを作りたいという欲求のままに、とにかく作っていました。   そして大学を卒業することになり、バンドは上京組と地元に残る者、他の地方へ飛ぶ者と分かれて、私はしばらくの間、その熱いボーカリストとともに東京でバンド活動を行いました。   そこからは前回も書きましたが、自分の曲というものが作りたくなり、バンドを脱退して新しいバンドを作り、そして今に至るわけです。   ☆東京での音楽活動 東京で活動したことは、本当にいい経験になりました。   基本的に他のバンドは「ライバル」なので、東京ではけっこう殺伐としているんですよ。ライブハウスで対バンになっても、ほとんど話をしないとか、ひどいときには挨拶もしないなんてバンドもけっこういました。   僕らはおとなしいので、楽屋を占領されてしまって、店の片隅でひっそり準備をするなんてこともありました(;・∀・)ライブしてる最中に財布に入れてたお金がなくなってしまったこともありましたね〜…。東京は怖いです。   そんな中でも曲はけっこう対バンには受けてました。音楽をやってる人の琴線には響くようですね。ライブ終了後に、曲について質問をされたり、連絡先を交換したりということがけっこうありました。当時は SNS なんて無い時代ですから、今ほど気軽につながりができる時代ではないのですが、それでも色々リアクションがあったということは、面白いことをやっていたんじゃないかなと思います。   それと東京に住んで一番良かったなと思うのが、「電車に乗ること」です。   車なんて買う余裕もないですし、駐車場も何万もするので当然通勤では電車を利用するわけですが、この通勤時間がかなり有効でした。   周りに人はたくさんいるんですが、「独り」になれる空間なんです。誰も干渉しないんです。上京してしばらくは人の多さや他人の目が気になっていたのですが、いつしか「自分だけの時間」を見つけることができるようになっていきました。   たまに変な人や危ない人もいましたが、基本的に電車内は私の「妄想の場」として貴重な時間でした。仕事のアイデアを練ることもできましたし、曲や歌詞のヒントを窓から見える景色から得ることもありました。   それと、なんとも言えない「荒んだ気持ち」。これが良かったなと。   曲を作るためには、あんまり幸せじゃない方がいいんですよね。感情が揺さぶられている方が、曲ができるんです。東京はそういう意味で常に気持ちが荒んでいますから、良かったですね。   ☆楽器を持たない作曲法 それでやっと本題になるわけですが、電車に乗ることで、楽器を持たない作曲法を覚えました。要するに鼻歌の延長なんですが、頭の中に曲を流れさせるんですね。だいたいの場合、ほぼアレンジが出来上がった曲が頭の中に流れます。あとはそれを再現すればいいわけです。   これがかなり良かったんです。ギターという縛りから開放されたと言っていいと思います。   どうしてもギターを持って作曲すると、「ギターを弾く」ということに頭が傾いてしまいます。ギター以外の楽器も同様です。ドラムの打ち込みを流して曲をつくるとか、そういうのも「ドラムの打ち込みに合わせる」ということに集中してしまうんですね。これだと自ら曲の可能性を狭めていることになります。   結局その曲を再現するためにどうしても弾き慣れた楽器を使うので、どの道自分の楽器のクセなんかが入ってきてしまいますが、せめて曲の入り口は何の縛りもない状態にした方が、曲の幅がぐっと広がるんですよね。   正確に言うと、東京時代はその作曲法を模索していた時代ですね。島根に帰ってきて、なぜだかわからないんですが、楽器をもたない作曲法が「懐に入った」と感じました。   島根に帰ってきてしばらくは、「自分は何のために曲を作るんだろう?」「こんなのほほんとした暮らしで曲なんかできない」「これから自分は何を目標に音楽と向き合っていくんだろう」なんて考えていましたが、そんなことは全然気にしなくてよくて、「ただ楽しいから曲を作る」でいいじゃんと思い始めたんですね。それでだいぶ曲が変わったように思います。   知らず知らずのうちに、「この方向では人気が出ない」とか、売れることに執着する自分がいて、その方向でも曲に制限をかけていたような気がしています。島根に帰ってきて、何のこだわりもなくなって自由な曲作りができるようになったのは本当に良かったなと思います。   長くなりましたが、楽器を持たずに、頭の中を空っぽにして、本能の赴くままに曲を作った方が私の場合うまくいってるよ、という話でした。
>> 続きを読む


HARAのブログ

もうすぐ育休明け (土, 06 4月 2013)
久々に曲でもつくろうかな。
>> 続きを読む

そろそろ (火, 11 9月 2012)
よし、そろそろブログを再開しよう。 ってなことでもいいんで何かしら書いてみることが大事ですな。 すっかりなまけ癖がついてしまいました。 とりあえずここ半年の出来事。 ①次男が元気に産まれました。 その関係で音楽活動に費やせる時間が激減。(もともと多くは無かったですが) おそらく来年いっぱいまではこの状況が続くと思います。 ②レコーディングが少しずつではありますが進みました。 スプロケは年内にアルバムリリースの目標をかかげて取り組んでますが、メンバーそれぞれ中々時間がとれず、リリースは年明けになるかなって感じです。 メンバーそれぞれの曲あり、ゲストミュージシャンあり、他パートに挑戦ありと、結構充実したアルバムになると思います。 ジャケットもきっとHo_lyがハイセンスなものにしてくれるでしょう。 本来ならデザイン料が発生しますが、同じバンドで良かった(笑) ③古曽志古代音楽祭に出演しました。 去る9月2日、松江市の古曽志公園で開催された野外音楽祭に出演しました。 時間が無くなってきたので次回に続く…
>> 続きを読む